潰瘍性大腸炎と仕事
”仕事”で検索して一番最初に()
大学卒業後、故郷に帰り自治体職員(公務員)として就職したのですが、この仕事に就いて良かったと思うことが一点ありました。
それは、肩叩きに合わないこと。
、、、公務員のイメージにありがちな、能力的が低くても馘首されないとか、業務をサボっててもお咎めなし、という意味ではありません。。
病気療養のためにまとまった休みを取れるという意味です。
本来であればどの職場でも取れて然るべきものと思いますが、そうもいかないのが現状です。。
私が潰瘍性大腸炎を発症した時は入院と自宅療養で、約90日間仕事に穴を開けることとなりました。
90日も休みを取れば、よほど優秀な人材でなければ馘首または自主退職へ誘導されるのが通常だと思います。
が、
自治体に勤務する私は90日の休暇を取得し、体調回復後には職場復帰を果たすことができました。
「病気休暇」について
国家公務員には「病気休暇」と呼ばれる、
負傷や疾病でやむを得ない場合は90日まで取って良い休暇、が法律で認められていて、
地方公務員についても各自治体の条例で、同様の休暇が認められています。
(もちろん取得には医師の診断書が必要です)
ちなみに、国家公務員の病気休暇は90日取得後に21日通常勤務をはさめばリセットされ、再度休暇を取る場合は1日目からカウントされます。
すごい制度だ(O_O;)
民間企業の場合、病気休暇に類するものはそれぞれの就業規則で定めることになっていて、
定めていない企業が多く、定めていても企業側に有利な内容だったりします。
よほど組合の強い、就業規則のしっかりした企業でなければ、使用者の裁量で決まってしまうでしょう。。
「休職」について
これも自治体毎に異なるかも知れませんが、
私の勤務する自治体では90日を越える療養の場合、91日目以降は最大3年間「休職」扱いで、退職が猶予されます。
休職中は給与は出ません。
しかし、職員共済組合から1年半を限度に給与額の2/3の手当てを受け取ることができます。
つまり、1年半は金銭を受領しながら療養することが出来、更に1年半以内に回復すれば再度仕事が得られるのです。
このことに気がついた時、公務員が高待遇と言われる理由を、本当の意味で理解しました。。
金銭面の話
私が入院した時は若者故に十分な貯蓄がなく、
また長年スポーツをやっていた過信から医療保険に入っていなかったため、
収入が途絶えたら入院費用が払えない状況でした。
入院中に給与を得られたことで金銭面の心配がなくなり、療養に専念することができました。
要は割り切れるか
制度上問題ないとは言え、病気休暇中は他の職員のお荷物になることになります。
負担を受ける職員の心象は、決して良いわけがありません(T-T)
入院中、私の仕事をしてくれている同僚に申し訳が立たず、
職場に病状報告の連絡を入れるのが本当に嫌で仕方ありませんでした。
回復後、どんな顔をして職場に行けばいいか分かりませんでした。
ただ、生きて行く上で、家族を養う上で大事なことは、
療養するための時間
医療費や治療中の生活に当てる金銭
回復後に仕事があること
であり、誰になんと思われようとこの3つを確保しなければいけないのです。
他の方に労働負担、金銭負担を強いることになりますが、
負担を再配分することも社会の役割なので、真にやむを得なければ病気休暇は活用するべきです。
(ただ、やっぱり罪悪感があって復帰後の残業はサービスにしようと思い、100時間ちょっと無給で働きました。それでも休暇中にもらった給与の方が多いですが。。)
仕事を選ぶ時点では気にしていませんでしたが、勤務先にこの様な制度が備わっていた私は運が良かったと思っています。
難病患者で就活を控えている方、転職を考えている方には、就業規則を確認することを薦めたいと思います。
ちなみに
私が病気休暇を取った職場は、比較的業務に余裕があり(定時は無理ですが、皆20時には退庁できる環境です)、
また、私が最若手で労働力としての価値が低かったから、まだ受け入れてもらえたのだと思います。
もし職場エース級の40代や管理職であれば、休暇はより取りづらいでしょう。。
29.8.31通院記録
粘血便が1週間続き、トイレは1日8〜12回。
強い頭痛と微熱(最大で37.5℃)、吐き気に苦しむ。便秘気味だが体重は1週間で2キロ減。
2日前に病院にTelすると予約は取れないが、そのまま来てよいとのこと。仕事休暇中の父に同伴してもらい、飛び込み外来。
CRP 6.62 mg/dl△
Hb 13.8 g/dl
肝臓、腎臓問題なし
急遽内視鏡検査を行う。S状結腸までで潰瘍を確認(痛みと洗浄不十分が原因で、S状より先は進めず)。
主治医から、ヒュミラの効果が落ちている様で、シンポニーへの切り替えを勧められる。
ヒュミラは1年で2割程度効果が落ちるとのこと(この時点では使用開始から半年)
シンポニーは初回に4本、2週間後に2本、その後は4週間ごとに1本の皮下注射。
承認から日が浅く、自己注射が認められていないので、病院で打つことになるとのこと。
シンポニーへの切り替えに同意して、4本まとめて打ってもらう。
シンポニーは、最近のヒュミラより少し痛いが当初のヒュミラよりは痛くない(?)
注射部位は左右の二の腕と臍の横で計4カ所。
看護師と雑談。これまでヒュミラ注射時に処方されているはずのアルコール脱脂綿が処方されていなかったことが判明。私驚愕。市販のマキロンで消毒していると言ったら看護師も驚愕。
病院に着いてから精神的な余裕が生まれたのか、腹痛と下痢の回数が減少。朝から何も食べでいなかったため、食堂で親子丼を半分食べ、実家に帰宅。
シンポニーの効果はすぐに現れず、3日腹痛や食欲不振が続く。4日目に少し効果が現れ、腹痛が収まり食欲が出る。
シンポニーの今後に期待(´ー`)
プログラフのこと
免疫抑制剤のプログラフ(タクロリムス)についてです。
プログラフは入院1週間後から長期間使用していましたが、最終的に副作用(強い貧血)が出てしまい中止しました。
結果的に今は服用してませんが、私を寛解に導き退院させてくれた、いわば恩人でもあります(´ω`)
プログラフ1mg
薬価 750.30円/錠
0.5〜3錠/日
使用期間 H27.5-H28.3
イムラン同様、高ぶった免疫を制御することで炎症を抑えようというものです。
イムランの記事はこちら
【潰瘍性大腸炎】イムランの話 - ハッタリと潰瘍性大腸炎
始める時、あまり長期化すると副作用が出やすくなるので”長くても3ヶ月まで”とおじいちゃん先生に言われました。
用量に微調整が必要なので、0.5mg〜1.5mgをさまよいながら朝晩1,2回服用しました。
入院中は毎朝6時に採血して血中のタクロリムス濃度を測定し、9時にその日の用量が告げられます。
開始から10日ほどかけて、絶妙な血中濃度を作ったにもかかわらず、炎症が治る気配はありません。
(この薬もダメか)、、と打ちのめされかけ、
レミケードを開始出来るまでのつなぎで、いわば惰性で飲んでいたら、開始から25日ほどで突然効果が現れました。
1日15回ほどの粘血便が7,8回まで減少し、最終的に出血はゼロに。
地方病院から都内の大学病院に転院した後も、若先生の元でプログラフを軸に治療を進め、再燃することはありませんでした。
血中濃度の管理が難しく、こまめに濃度の測定をする必要がある、とのことでしたが、
濃度の測定は6週間に1回ほど。。
気づかぬうちに濃度が上昇して副作用が出るのではないかと、内心ドキドキしていましたが、
採血だけに遠方から来させるのも、という病院の配慮だったようです。
使用から8ヶ月が経つ頃、軽い貧血を感じたタイミングでちょうど定期受診。
ヘモグロビンが11g/dlまで低下していました。
成人の基準値は12〜18g/dlなので、やや基準値割り、というところでしょうか。
副作用が疑われましたが、ちゃんと寛解が保てていたので、
また貧血も処置が必要なレベルではないので、プログラフは継続することに。
食事で鉄分を補うように、とのことでした。
そして貧血はジリジリ進行し、体はだるく、目眩が続き、しゃがんだら壁なしでは立ち上がれないレベル。
毎日がツライ(o_o)
2ヶ月後の定期受診時にはヘモグロビンは7g/dlまで低下していました。
流石に日常生活に支障をきたす、ということで、ここで服用中止。
このあとプログラフは服用してません。
プログラフを止めてからは、併用していたイムランだけでしばらく様子を見ていましたが、案の定再燃を果たし、また別の治療を探すことになります。
3ヶ月が目安と言われた中、10ヶ月使用を続け、
服用中は寛解を維持することができましたが、
最終的には強い貧血が出てしまい、中断という結末。
プログラフは最初に説明された時に、臓器移植に使う非常に強力な薬だと聞いており、内心
やだな
と思っていたけど、
貧血以外に重い副作用は出ず、結果的には良い効果を得られたと思います。
再燃期に入りました
一週ほど前から再燃の予兆があり、一昨日、3ヶ月ぶり3度目の再燃期に入りました。
8月入ったくらいから生活習慣が少し変わり、
3泊4日で行ったタイで未知の食材を食べ、
実家に帰って暴飲暴食し、
寒い中海に入り、
夏風邪を引き、
ミネラル系のサプリメントを飲み始め、
甘酒を飲み始め、
対照実験としてヤクルト400をやめ、
昼の弁当を量多くして、
風呂上がりにはスーパードライを、、、
心当たりが多すぎる。。
過去の燃焼時には腹痛と下血、食欲不振に貧血が主症状だったのですが、
今回は発熱と頭痛を伴う再燃。
初の症状でハラハラします。
現在、1日12回程度の下痢下血、粘血便で
体重は4日で1キロ減。
次の診察は10月の予定だったけど、色々懲りたので今週金曜日に受診して来ます。
それまで保って、私の身体!!
イムランの話
今回はあくまでちゃんと、治療薬の話です(´∀`)
潰瘍性大腸炎は治療法が複数ある病気です。
私も薬の効果が落ちて寛解が保てなくなると別の薬へ、「はしご」して来ました。
ただ、主治医から新しい薬を紹介される度に
この薬で症状は良くなるのか、とか
どんな副作用があるのか、とか
「重篤な副作用」は、どのくらいの割合で起こるのか
色々と気になることがあり、
使用している人のナマの声を聞きたくなるのですが、
(同じ薬を使用している人を見つけると安心するんですよね。
その人が副作用なく服薬していると、安心感が増します)
薬を検索すると製薬会社のサイトばかり表示され、
実際に使用している人の情報はあまり多くありませんでした。
なのでブログの中で、自分が実際に使った薬の効能や感じたこと記録にしたいと思っていました。
今回は私が使っている薬で、主治医に勧められたときに
やだな
と思った、イムランのことを書きたいと思います。
イムラン50mg
薬価 139.9円/錠
0.5〜2錠/日
使用期間 H27.8〜現在まで
入院生活
【潰瘍性大腸炎】入院生活の話① - ハッタリと潰瘍性大腸炎
【潰瘍性大腸炎】入院生活の話② - ハッタリと潰瘍性大腸炎
から脱却して2週間後の通院時、血液検査をしたところ白血球数が増加しており
それまでのプログラフ&ペンタサでは再び再燃するだろう、とのことで
プログラフ同様、白血球を減らして免疫を落とす目的で処方された薬です。
紹介されたとき、直感で、これはあかんやつ、と思いました。。
イムランで起こりうる主な副作用が、以下の様なものだからです。
その他のもの
間質性肺炎は、「肺炎」とは全く別物で、大変な猛威を振るう疾患です。
一説には10年生存率10%と聞きます。。
(イムランの副作用で起こるのは、かなりのレアケースだそうですが)
脱毛は命をとられるわけではありませんが、精神的なダメージは大きそうです。。
医師からは、髪の量は、3ヶ月で半分くらいになると思う、と言われました。
髪型に強いこだわりはありませんが、一応20代。
まだ薄毛にはなりたくありません。
また、イムランの服用は胎児にリンパ球の催奇性をもつ、との報告もあり、
当時同い年の恋人がいて、将来的に子どもが欲しいと思っていたため、服薬が枷になることは間違いありませんでした。
そのような理由からイムランは全力で回避したかったのですが、
体調には変えられない、
絶対に使用した方が良い、
と宥められ泣く泣く服用開始。
50mg錠を半分に割ったものを1日1回から服用開始しました。
服用3日目から吐き気が始まり、朝から晩までグロッキー状態が続きます。
実際に嘔吐することはありませんでしたが、
仕事に復帰していた頃だったので毎日出勤するのがつらく、体重もゾリゾリ削がれていきました。
毎日吐き気が続くというのは大きな絶望をもたらします。。
また指先の皮膚が弱くなったのか、手指の第一関節が痛痒くなり、
レンジにかけたコップなど、熱いものが持てなくなりました。
服薬から3週間後に再度通院するも、白血球の数は微減〜ほぼ変わりなし。
翌日から50mg錠を半分に割ったものを1日2錠服用することになりました。
毎日が吐き気との闘いです。。
そしていつ禿げ上がるのか気が気ではありません。。
しかしそこから2週間後の診察でイムランの量が更に倍になっても、
もともと毛量の多いお茶屋の髪はフサフサで減る気配はなく、
さらに1ヶ月経つ頃には吐き気も段々と収まり、
一番最後まで残った「熱いものが持てない」副作用も3ヶ月経つ頃には忘れていました。
免疫の低下で感染症にかかりやすくなる、と聞いていましたが、風邪やインフルエンザにかかることも無く、
満員電車でマスクをするだけで、それほど不自由なく過ごせました。
服用開始から2月経つ頃には、白血球数も3000/μL(成人の正常値のほぼ下限)まで下がりました。
お茶屋はこれまでの治療で、出ると言われている副作用に色々当たり、
イムランでも当たりを引くのではとびくびくしていましたが、
今までのところ、
大きな副作用は現れないまま
狙った効果(白血球の減少)を得ることが出来、ほっとしています。
ただ、
イムランを開始したのは寛解を迎えていた時で、
イムラン開始後も寛解であることに変わりはなく、
つらい思いをした割に(タイミング的に)効果をあまり実感出来ず、本当に服薬の必要があったのかよく分かりません。。
治療薬の副作用の説明は、万が一副作用が出た時にすぐ気付けるようにかなりオーバーに書いてありますが、
そこまで心配しなくて良いのではないかと感じています。
今後子どもを望む時にはイムランの服用をやめ、別の治療を探すことになりますが、
それまではイムランを継続することになるのでしょう。。
タイの話②
3日目の8月6日
バンコクといえばチャオプラヤ川が作った都市
水路を使っての市場が栄えていたことがあり、今でも観光名所として残っている水上マーケットがあります。
ということで、週末限定で開いているタリンチャン水上マーケットへ
やはりバンコク中心部、サイアムスクエア前からバスに乗ること40分。
色々な方のブログやガイドを見ると、下車場所の目印は「T字路」とのこと。
そんなの目印になるかーい、と思いながらバスに揺られていると、確かにT字路が、、
あわててピンポンを押しました。
問題のT字路。マーケットは背中側です。
下車して歩くこと30秒、屋根付きのマーケットに潜入しました。
これは水上でなく普通のマーケットでは?と思って歩いていると、ちゃんと水上要素も出て来ました。
しかし水上、と言うよりほとんど川べりにあるマーケットで、
船に乗ってお土産ものを物色したい方には他のマーケットをオススメします。
商品を眺めるだけで何も買わない観光客にも、ちゃんと笑いかけてくれます。
さすが微笑みの国、タイ。素敵です。
タリンチャンを出た後は、中華料理店のソンブーンシーフードへ
この店発祥の料理に、プーパッポンカリー(カニのカレー炒め)というものがあります。
昔テレビで、国際線のCAの方が「世界各国で食べた料理の中で一番おいしかった」と評していたのを見て、
いつか食べて見たいと夢見ていました。
カニを甲羅ごと、卵でやわらかく包んだもので、味付けも優しい甘さ。非常においしい!
スパイスは弱く、お腹よわい人にも安心です。
ただね、身を取り出すのに手が油まみれになります。カニだものね。。
どうやって食べるのが正しいんでしょう。。
でも1つ夢が叶ったので満足です。。
一緒に注文した「川エビの黒胡椒炒め」はピリ辛の味付けで、あまり食べられませんでした。
店員さん、
ノースパイシーって言ってたじゃん(T-T)
丁寧に接客して貰ったので、100バーツのチップを置いて行きました。
ソンブーンを出た後は、ROUTE66という若者が集まるクラブに潜入しましたが、言葉の壁とアゲアゲなノリに撃沈。。
ミュージックが大音量すぎてコミュニケーションが成立しないのです。
テンションの振り切れ方も、日本とは違います。
普通のバーでシンを飲みながら会話を楽しむ方が向いている様でした。
最終日の8月7日は11時の飛行機に乗るために素早く起床。
来た時の逆のルートで空港へ。
空港で時間があったのでレストランに入り、
そういえばパッタイを食べてないなぁと思い至り注文。
甘く味付けた弾力ある平麺に、ナッツとニラ、もやしがあえてあり、最後の南国の味を満喫しました。
そして搭乗したエアアジアも遅滞なく出発し、20時に成田空港に到着。
途中機内食を注文するも「品切れ」で何も食べられないトラブルがありましたが、快適な空の旅でした。
こうして3泊4日のタイ旅行を無事に終えて来ました。
総括
見て来たタイは、発展途上国のエネルギッシュさと、
南国特有の穏やかさとが混ざった不思議な国でした。
首都バンコクは、高層ビルや大型ショッピングセンターの並ぶ大都市で、
伊勢丹の様な高品質のデパートがあるかと思えば、
店員さんは客そっちのけでスマホに夢中になっていたり
また空港の検疫所の職員等もお喋りに没頭して仕事をしていなかったり、
せかせか働く日本と逆の生き方で、
欲望に忠実、と言うか
都市型スローライフ、とでも言えばいいのか
こういう社会はストレスなく暮らせるんだろうなと、考えたりしました。
また街中いたるところに設置された、去年10月に亡くなった故プーミポン前国王を悼む祭壇には、今でも手を合わせる人が散見され、
王宮にも暑い中、喪に服した参列者が沢山いて、
のんびりした空気の中でも、大切なことは忘れていない素敵な国でした。
以上、初タイ・初海外旅行の記録でした。
息が詰まったら、また55000円下ろしてタイに行って来ます。
機体から見下ろすチャオプラヤー川
タイの話①
8月4〜7日にかけてタイの首都、バンコクに行って来ました。
タイは比較的入国が簡単で、観光目的の短期滞在であればビザも必要ないので(60日以内に帰国するための航空券が必要です)、
航空券とホテルとポケットWi-Fiだけ予約して気軽に行けました。
大手の航空会社を使用すれば羽田から飛行機が出ますが、
LCCで航空券代を節約した結果、成田発となりました。
ちなみに航空券は、2人分で、往復約90000円
ホテルはバンコク市内の観光客向け、2人×3泊
で16000円
ポケットwifiは3日で4000円
一人当たり55000円という格安(?)プランで行ってきました。
住んでいる地方都市を早朝に出発し、
成田空港でポケットwifiを受け取り、
手荷物検査を受けて、スクートの黄色い機体に搭乗
(写真を撮り忘れたのでネットで拾った画像です)
LCCなのであまり期待をしなかったけど、機内は綺麗でアテンダントもしっかりした印象です。
レガシーキャリアとの違いは、
⚪︎機内食が別料金
⚪︎映画やオーディオサービスがない
⚪︎座席がやや狭い
⚪︎受託荷物が別料金
という点です。
お茶屋はいずれも大した問題じゃなかったですが、
行きのスクートは、キャリーバッグとリュック合わせて10キロまで機内に持ち込めたのに対し、
帰りのエアアジアは、合わせて7キロまでしか持ち込めず、
キャリーバッグを4000円の別料金で受託する必要がありました。
少し観光先の話を
初日、8月4日はほぼ移動に費やしました。
バンコクのドンムアン国際空港から、鉄道駅のあるモーチットまでバスで、モーチットからはバンコクスカイトレイン(BTS)で移動します。
バスは運転手1人、集金係1人がタッグを組んでいて、乗り込むとすかさず現れる集金係のお姉さんから切符を買う、というシステム。
乗車時間は20分、料金は30バーツ(90円)でした。
タイは紙幣、貨幣の種類が豊富で、下から
1、2、5、10バーツ貨幣と、20、50、100、500、1000バーツ紙幣があります。(パーツの下にサタンという補助貨幣があるようですが、今回の旅では見かけませんでした。)
1000バーツほどの高額貨幣になり、バスや土産物屋ではお釣りが出せないと言われるので、こまめに崩しておくことが必要です。
お茶屋はこの時100バーツ札を出して、苦笑いされました。
ホテルに着いた後は、近所のショッピングセンターなどで食事と買い物を。
バンコクはなかなか大きな都市で、名古屋や札幌に劣らない印象です。
名探偵コナンの最新作を上映していたのも印象的でした。
この日は23時頃就寝。
翌日8月5日は朝早く起き、バンコクの名所、ワットポー・王宮等を観光
ワットポーの金キラに光る寝釈迦様は、テレビで見たことがある人も多いかもしれません
高さ15m、全長46mの実物はかなりの迫力があり、カメラを引いても全体が写りきれません。
不敵な笑み、と言ったら失礼でしょうか、
日本の仏像にはあまり見ない余裕の表情で、
タイ人の国民性なのか、上座部仏教の性格なのか分かりませんが、強く印象に残りました。(単に角度の問題かもしれません。)
続いて王宮
入場料500バーツ(1500円超)かかったけれど、観光客が多すぎて熱気もすごく、敷地内に建物も多すぎてあまりゆっくりは見られませんでした。
王宮を出て北に10分、
世界中のバックパッカーが集まるというカオサン通りへ
活気があり、Tシャツやスニーカーなど通り一面で路上販売されていて、でも何か怪しい雰囲気のある通り…
パチモノのTシャツを売ってるおじさんと値段交渉をしてまけてもらったり、
1時間250バーツで古式マッサージを受けたり、
安く遊べて色々な人とコミュニケーションが取れるので、今回の旅で一番おもしろい場所でした(´∀`)
夜には音楽に合わせ路上で皆踊り狂うのだとか、、
これからバンコクを訪れる人にはぜひオススメします。
その後、中心街から北へ20キロのボクシングスタジアムでムエタイ観戦。
渋滞都市ながら良心的なタクシーにめぐり合い、200バーツ50分で到着!
迫力あるムエタイの試合と、
ムエタイ賭博をする地元の方たち
膝が入るたびに熱い声援が飛びます。
地元の方々の熱気がすごく、私たち観光客は尻込みしていました。。
でも生で観戦する格闘技はやはり迫力があり、見に行った甲斐がありました。
〜タイの話②に続きます〜