無知がハッタリで生きる

ゆとり世代が趣味と公務員の仕事と持病について語るブログです。

【生活保護】ダメ。ゼッタイ。

私の生活保護ケースワーカーとして2年目の6月

その年にまだ一度もお会いしていなかった被保護者の方のお宅を訪問調査することになりました。

訪問調査とは

被保護者の健康状態や家庭状況、就労・就活状況などを確認・調査するためのお宅訪問で、我々ケースワーカーのメイン業務です。
被保護者の年齢、世帯構成などをもとにA-Eの5段階に格付けし、
Aケースは毎月、Eケース(入院・入所者)は12ヶ月に1回程度の訪問調査を行います。


今回訪問した方は、10年以上前に使用した覚醒剤後遺症を治療中の方でした。

精神面が万全でないため主治医から就労不可との診断を受け、
Cケース(年に4回訪問)と格付けをしていました。

その年の4月に訪問のアポイントを試みた時に、
「(精神的に)調子が悪いので、別の時期に改めて来て欲しい」との回答をくれた方でした。

精神的に不安定な方は、季節の変わり目(特に春秋)に調子を崩すことが多く、このようなことがままあります。

そこで少し落ち着いたこの時期に、改めて訪問調査を試みました。


前年度担当からの引き継ぎによると、

不安になることがあるため、

  • 訪問のある日には多めに薬を飲み気持ちを整えてくれる
  • 訪問する時には1週間前に一度、訪問前日にもう一度、日時の連絡を入れるように

との申し送りがされていましたので、
(こちらも不安になる申し送りですね)


訪問1週間前と前日に電話を入れ、午前10時にお宅訪問することでアポイントを取りました。

電話での印象は、よくつっかえる、声の大きいおじさん、というものでした。


そして訪問当日。

事務所を出る時に、
急遽他の被保護者からトラブルの電話を受けてしまい(内容は忘れてしまいました…)、約束の時間に遅れることになりました。

やむを得ずお詫びと時間変更の電話を入れて、
AM10時→PM12時の訪問とし、相手からは「わかりました」と元気良い返事をもらいました。


そして舞い込んだトラブルにカタをつけ、PM12時にお宅付近に行くと、

第64代横綱、曙


175cmに縮めたような、
それでも一般的にはかなりガタイの良いボウズ頭がこちらを睨んでいるのです。

曙「お前がお茶屋か!!?!」

「はい」

曙「お前〜○!※□◇#△!〜○!※□◇#△!つったじゃねぇか!!!!」

何を言っているのかすぐに分かりませんでしたが、怒っているのは間違いなく、
冷静を装って話を聞くと

  • 10時に来ると思っていたら来なかった
  • 2時間以上外で待っていた
  • お前は俺を狂わせようとしている
  • 俺が通行人に危害を加えたら責任取れるのか

と訴えていることが分かりました。


目が正気ではありません。言葉もはっきりしません。
外で待っている理由がわからないし、
お茶屋は人を狂わせる方法など知らないし、
彼が人に危害を加える予定のような口ぶりも不明です。

ただ彼が錯乱状態なのは明らかで、
どうやら当初予定の10時から、ケースワーカーが来るのをずーーっと待っていたことも分かりました。。


そして、
「用があって来たんだろ?上がれ、逃がさねえぞ」(ここだけははっきり聞き取れました)と凄んで、お茶屋は部屋に連行されました。


※訪問調査は、例えば就労・就活中の方や子沢山家庭には重要な意味を持ちますが、彼の場合は就労不可で、病院にも規則正しく通えていたので、通院・生活の状況を聞く程度の予定でした。


部屋に入り、まず謝罪。こちらが無害であることをゆっくり大きな声で説明し、彼を落ち着かせようとしました。

が、彼の怒りは収まりません。

右手でジャージのポケットの中の護身用具であろう何かを握りしめ、血走った目で睨みつけ、支離滅裂な内容で怒鳴り続けました。

お茶屋もビビりながら言葉を慎重に選んで、謝罪をはさみ、怒りのボルテージを下げることに成功。


しかし怒りが収まると今度は、「そこに誰かいるぞっ!!!」と椅子から立って怯え出したり、
「うわああああ」と叫んでキョロキョロしたり、
四畳半の狭いキッチンで大柄な男が暴れていると、流れ弾が来ないかと、気が気じゃありません。


お茶屋と玄関の間に座っている彼を飛び越えて逃げれないかな、とか
もしナイフ向けられた時、とっさにバッグを盾にできるかな、できないよな、とか
彼を置いて去ると自身や通行人を傷つけるかも知れないな、とか色々考えましたが、、


お茶屋も錯乱の一因であるため、彼を落ち着けるしかないと判断し、
さらに30分頑張って彼をなだめ、
「幻覚ですよー。誰もいないですよー」と言葉をかけ、ついに落ち着かせることに成功。

落ち着いた彼と話をし

  • 普段はうつ状態のことが多く、今日は訪問が来るから向精神薬を多く飲んだこと
  • 時間変更の電話は覚えがないこと
  • 時々幻覚を見る自覚があり、人に言われればそれが幻覚と認識できること
  • 今日からしばらくうつ状態に入ると思う、との予想

を聞き出しました。

当初予定の時間に遅れた非礼を改めて詫びて、
訪問の礼と励ましの言葉を述べて彼の家を後にし、

  • 彼の通院先の病院
  • 福祉事務所の精神保健福祉の担当
  • 最寄りの交番
  • 職場の上司

にすぐさま情報共有し、他のお宅の訪問もそこそこにして職場に戻りました。

帰りの車では1人で少し泣きました。

生きて帰れてよかった。。


職場に帰り、事情を電話報告した上司から暖かく迎えられ、

前年度担当にも報告すると、


「(おそらく)玄関の外にいる、姿の見えない来客が怖いんだろうね。
敵だと思って攻撃したことがあるのかも。
そうならないために外で待っていたんじゃないかな。
去年も外で待っててくれたよ。」

と。

なるほど。
10時に来るはずのお客さんは待てども待てども来ない。外にいると、誰かに狙われてるんじゃないかと不安になる。いつもより薬を多く飲んでることも相まってトリップ。。

どうやらこれが真相の様でした。

彼も相当怖い思いをしたのだろうと思うと、安易に時間変更をするべきじゃなかったと反省します。


彼については、その後何度か訪問のアポイントを試みるも、「調子が良くないので改めて欲しい」との回答でした。
保護費の支給日に見かけたことはあったので、外出でき、生活を送れていたことは間違いありませんが、
ちゃんと話ができたのは、この1回きりでした。


薬の後遺症って本当に怖い、
薬物乱用防止ビデオの様なことが本当に起こるんだ、

やめて10年経っても、後遺症に悩むんだ、ということと

自分の為にも相手の為にも約束の時間は厳に守ろう、と心に刻んだ出来事でした。

タイの話②


3日目の8月6日

バンコクといえばチャオプラヤ川が作った都市
水路を使っての市場が栄えていたことがあり、今でも観光名所として残っている水上マーケットがあります。

ということで、週末限定で開いているタリンチャン水上マーケットへ

やはりバンコク中心部、サイアムスクエア前からバスに乗ること40分。

色々な方のブログやガイドを見ると、下車場所の目印は「T字路」とのこと。

そんなの目印になるかーい、と思いながらバスに揺られていると、確かにT字路が、、
あわててピンポンを押しました。

問題のT字路。マーケットは背中側です。


下車して歩くこと30秒、屋根付きのマーケットに潜入しました。

これは水上でなく普通のマーケットでは?と思って歩いていると、ちゃんと水上要素も出て来ました。

しかし水上、と言うよりほとんど川べりにあるマーケットで、
船に乗ってお土産ものを物色したい方には他のマーケットをオススメします。

商品を眺めるだけで何も買わない観光客にも、ちゃんと笑いかけてくれます。
さすが微笑みの国、タイ。素敵です。


ドリアンを売る露店。結構臭います。



この写真だけなら文句なしに水上マーケット



タリンチャンを出た後は、中華料理店のソンブーンシーフードへ

この店発祥の料理に、プーパッポンカリー(カニのカレー炒め)というものがあります。


Mサイズ 580バーツ(だったと記憶)

昔テレビで、国際線のCAの方が「世界各国で食べた料理の中で一番おいしかった」と評していたのを見て、
いつか食べて見たいと夢見ていました。


カニを甲羅ごと、卵でやわらかく包んだもので、味付けも優しい甘さ。非常においしい!
スパイスは弱く、お腹よわい人にも安心です。

ただね、身を取り出すのに手が油まみれになります。カニだものね。。
どうやって食べるのが正しいんでしょう。。

でも1つ夢が叶ったので満足です。。


一緒に注文した「川エビの黒胡椒炒め」はピリ辛の味付けで、あまり食べられませんでした。

店員さん、
ノースパイシーって言ってたじゃん(T-T)

丁寧に接客して貰ったので、100バーツのチップを置いて行きました。


ソンブーンを出た後は、ROUTE66という若者が集まるクラブに潜入しましたが、言葉の壁とアゲアゲなノリに撃沈。。
ミュージックが大音量すぎてコミュニケーションが成立しないのです。
テンションの振り切れ方も、日本とは違います。


普通のバーでシンを飲みながら会話を楽しむ方が向いている様でした。



最終日の8月7日は11時の飛行機に乗るために素早く起床。
来た時の逆のルートで空港へ。

空港で時間があったのでレストランに入り、
そういえばパッタイを食べてないなぁと思い至り注文。

甘く味付けた弾力ある平麺に、ナッツとニラ、もやしがあえてあり、最後の南国の味を満喫しました。

そして搭乗したエアアジアも遅滞なく出発し、20時に成田空港に到着。
途中機内食を注文するも「品切れ」で何も食べられないトラブルがありましたが、快適な空の旅でした。

こうして3泊4日のタイ旅行を無事に終えて来ました。

総括

見て来たタイは、発展途上国のエネルギッシュさと、
南国特有の穏やかさとが混ざった不思議な国でした。


首都バンコクは、高層ビルや大型ショッピングセンターの並ぶ大都市で、
伊勢丹の様な高品質のデパートがあるかと思えば、
店員さんは客そっちのけでスマホに夢中になっていたり
また空港の検疫所の職員等もお喋りに没頭して仕事をしていなかったり、

せかせか働く日本と逆の生き方で、

欲望に忠実、と言うか

都市型スローライフ、とでも言えばいいのか
こういう社会はストレスなく暮らせるんだろうなと、考えたりしました。


また街中いたるところに設置された、去年10月に亡くなった故プーミポン前国王を悼む祭壇には、今でも手を合わせる人が散見され、
王宮にも暑い中、喪に服した参列者が沢山いて、
のんびりした空気の中でも、大切なことは忘れていない素敵な国でした。


以上、初タイ・初海外旅行の記録でした。
息が詰まったら、また55000円下ろしてタイに行って来ます。

機体から見下ろすチャオプラヤー川

タイの話①

8月4〜7日にかけてタイの首都、バンコクに行って来ました。

タイは比較的入国が簡単で、観光目的の短期滞在であればビザも必要ないので(60日以内に帰国するための航空券が必要です)、

航空券とホテルとポケットWi-Fiだけ予約して気軽に行けました。


大手の航空会社を使用すれば羽田から飛行機が出ますが、
LCCで航空券代を節約した結果、成田発となりました。


ちなみに航空券は、2人分で、往復約90000円

ホテルはバンコク市内の観光客向け、2人×3泊
で16000円

ポケットwifiは3日で4000円

一人当たり55000円という格安(?)プランで行ってきました。



住んでいる地方都市を早朝に出発し、

成田空港でポケットwifiを受け取り、

手荷物検査を受けて、スクートの黄色い機体に搭乗

(写真を撮り忘れたのでネットで拾った画像です)

LCCなのであまり期待をしなかったけど、機内は綺麗でアテンダントもしっかりした印象です。

レガシーキャリアとの違いは、
⚪︎機内食が別料金
⚪︎映画やオーディオサービスがない
⚪︎座席がやや狭い
⚪︎受託荷物が別料金

という点です。


お茶屋はいずれも大した問題じゃなかったですが、

行きのスクートは、キャリーバッグとリュック合わせて10キロまで機内に持ち込めたのに対し、

帰りのエアアジアは、合わせて7キロまでしか持ち込めず、

キャリーバッグを4000円の別料金で受託する必要がありました。


少し観光先の話を



初日、8月4日はほぼ移動に費やしました。

バンコクのドンムアン国際空港から、鉄道駅のあるモーチットまでバスで、モーチットからはバンコクスカイトレインBTS)で移動します。

バスは運転手1人、集金係1人がタッグを組んでいて、乗り込むとすかさず現れる集金係のお姉さんから切符を買う、というシステム。
乗車時間は20分、料金は30バーツ(90円)でした。

タイは紙幣、貨幣の種類が豊富で、下から

1、2、5、10バーツ貨幣と、20、50、100、500、1000バーツ紙幣があります。(パーツの下にサタンという補助貨幣があるようですが、今回の旅では見かけませんでした。)

1000バーツほどの高額貨幣になり、バスや土産物屋ではお釣りが出せないと言われるので、こまめに崩しておくことが必要です。
お茶屋はこの時100バーツ札を出して、苦笑いされました。

ホテルに着いた後は、近所のショッピングセンターなどで食事と買い物を。
バンコクはなかなか大きな都市で、名古屋や札幌に劣らない印象です。

名探偵コナンの最新作を上映していたのも印象的でした。


この日は23時頃就寝。



翌日8月5日は朝早く起き、バンコクの名所、ワットポー・王宮等を観光

ワットポーの金キラに光る寝釈迦様は、テレビで見たことがある人も多いかもしれません

高さ15m、全長46mの実物はかなりの迫力があり、カメラを引いても全体が写りきれません。

そしてこの表情です。

不敵な笑み、と言ったら失礼でしょうか、
日本の仏像にはあまり見ない余裕の表情で、
タイ人の国民性なのか、上座部仏教の性格なのか分かりませんが、強く印象に残りました。(単に角度の問題かもしれません。)


続いて王宮


入場料500バーツ(1500円超)かかったけれど、観光客が多すぎて熱気もすごく、敷地内に建物も多すぎてあまりゆっくりは見られませんでした。


王宮を出て北に10分、
世界中のバックパッカーが集まるというカオサン通り

活気があり、Tシャツやスニーカーなど通り一面で路上販売されていて、でも何か怪しい雰囲気のある通り…

パチモノのTシャツを売ってるおじさんと値段交渉をしてまけてもらったり、

1時間250バーツで古式マッサージを受けたり、

50バーツで山盛りのココナッツアイスを食べたり、

安く遊べて色々な人とコミュニケーションが取れるので、今回の旅で一番おもしろい場所でした(´∀`)

夜には音楽に合わせ路上で皆踊り狂うのだとか、、

これからバンコクを訪れる人にはぜひオススメします。


その後、中心街から北へ20キロのボクシングスタジアムでムエタイ観戦。
渋滞都市ながら良心的なタクシーにめぐり合い、200バーツ50分で到着!

迫力あるムエタイの試合と、


ムエタイ賭博をする地元の方たち

膝が入るたびに熱い声援が飛びます。

地元の方々の熱気がすごく、私たち観光客は尻込みしていました。。

でも生で観戦する格闘技はやはり迫力があり、見に行った甲斐がありました。



〜タイの話②に続きます〜

潰瘍性大腸炎だけど海外旅行してきました

8月3日から3泊4日でタイのバンコクに旅行して来ました。

お茶屋は国内旅行は好きでしたが、海外への関心は薄く、
今まで一度も日本を出たことがなかったのですが、
半年ほど前から旅行好きの友達の話や旅系youtuberの動画を見聞きしているうちに、
言語の通じない・文化の違う環境に憧れを持つかようになりました。


ちなみによく見ている旅系youtuberは、ジョーブログさん。
https://m.youtube.com/playlist?list=PLdfjtOZHSuVvhg-h7SU_y5tHvtisAuFXE

最近はボクシング色が強いですが、南米縦断動画などは旅への意欲を駆り立てます。




しかしお茶屋はUC患者。強靭な胃腸を持つyoutuberとは違います。


ただでさえ頻繁に腹痛があるのに、異国で生活できるのか。。


しかし、現在よりも体調が悪くなる可能性は今後大いにあります。

今も毎日腹痛はありますが、一応(?)寛解状態。

現在トイレの回数は日に5回程度なので、絶対無理、というほどではないです。

つまり行くなら今がベストじゃないか、と思い、初めてパスポートを取得して旅立つに至りました。

今回はUC患者視点で、海外旅行に行くにあたり気をつけたことを記事にしてみたいと思います。

ちなみに同じく初海外の、高校時代から友人との2人旅です。


UC患者と、UCでないけどお腹弱めの2人旅にあたり、特に気をつけたことは4点です。


①屋台の食べ物に手を出さないこと


(水上マーケット沿いの屋台)


タイの街並みには多数の屋台が出ていて、美味しそうなパッタイやつくね(的なもの)が20バーツ(≒64円)程度から買うことが出来ます。
物価の安いタイではこれを3つも食べれば食事としては十分です。

歩いていると屋台からいい匂いが漂ってくるのですが、
タイの屋台では加熱が甘いことや長時間常温で放置することがあるため、衛生的によろしくありません。

お腹弱いチームの私たちでは当たればイチコロです。。

なので屋台では、冷たい飲み物と、明らかに十分加熱しているもの、沸騰してるもの、以外は手を出さない様に決めていました。

屋台の食べ歩きも楽しみ方の1つですが、レストランや食堂での食事も十分楽しむことができました。


②ピリ辛料理に手を出さないこと


(レストランのカニカレーと川エビ炒め)

これは言わずもがな、全てのUC患者の方が日々気をつけていることだと思います。

南国では防腐目的で味付けがスパイシーになる様で、レストランでメニューを開くと料理に唐辛子マーク🌶がちらほらと、、

庶民的な食堂では料理の写真とタイ語での料理名しか表示されていないことがほとんど、素材も調理の仕方も全く分かりません。

いちいち店員さんを呼んで、spicy? no spicy?と確認して料理を選びました。

その結果、ピリ辛メニューは「ほぼ」避けることができました。

そして日本人とタイ人ではspicyの基準が違うということも分かりました。。

無理だと思ったら注文したものを残す勇気も必要です。


③水道水を口にしないこと

基本的に日本以外どの国も水道水は飲めず、タイも同様です。

ペットボトルの水がコンビニで7〜9バーツ程度で買えるので、

飲み水としてはもちろん、うがいや歯磨きも買った水で済ませていました。

飲食店でコーラ等を注文すると、缶のコーラと氷の入ったグラスを渡されますが、

レストラン以外の場所ではこの氷も信用ならないと思い、直接缶から飲む様にしていました。

すでに容器に氷と飲み物が入った状態で渡されることもあり、その場合は諦めるしかありません。

なるべく氷が溶ける前に、と思い、氷入りのレッドソーダは一瞬で飲み干しました(不良患者)。



④こまめに虫除けをすること

お茶屋が現在、イムランとヒュミラ、2種類の免疫抑制剤を使用中で感染症にかかりやすいこともあり、

虫を経由しての病気の感染を防ぐ目的で日に2回虫除けスプレーを振りました。

東南アジアでは特に蚊を媒介する感染症が多くあり、
タイの雨季に当たる4〜10月は蚊の量が増えるため、対策が必要です。

デング熱マラリアhttp://www.forth.go.jp/destinations/country/thailand.html)あたりは感染したらシャレになりません。。

女性であればジカ熱(https://www.niid.go.jp/niid/ja/id/2358-disease-based/sa/zika-fever/7169-zikara-11-170331.html)も対策が必要です。

あらかじめ日本で予防接種を受けようかとも思いましたが、

よほどジャングルなどに行かなければ、そこまで神経質にならなくていいと主治医から助言を受け虫除けに留めました。

観光先が都市部だったためか虫の気配もあまりなく、
心配しすぎたかな、という気もしました。




体調面で気をつけていたことは概ね以上ですが、
どんなに腹痛を予防していてもUC患者はトイレが近く、
また南国タイでは何かと水分を摂取しがちなので、

⚪︎トイレの場所を常に把握しておくこと

(駅やコンビニには客が使用できるトイレはなく、大型ショッピングセンターの中には必ずあります)

⚪︎英語・タイ語でトイレの場所を尋ねられる様にしておくこと

(英語が通じないタイ人も多くいます)

も必要だと感じました。


他の旅行者の方のブログを拝見すると、
最悪の場合には、20バーツ程度のチップを手渡して従業員用のトイレを借りるという裏技もある様です。

この様なことを意識しながら、寛解期のお茶屋は3泊4日で無事に初海外旅行をしてきました。



これまで海外経験のないお茶屋には、

外貨で買い物をすることも、

拙い英語でコミュニケーションを取ることも、

時には強引なタクシーの客引きも全て新鮮で、

海外の魅力にすっかりはまってしまいました。


再燃すると旅行は困難なので、また海外に行くという目標を、摂生するモチベーションに変えることが出来そうです。



タイ旅行での具体的な見所は、また別途記事にしたいと思います。

記事にするする詐欺が始まりつつあるので、ブログの更新も頑張ります。笑

【潰瘍性大腸炎】入院生活の話②

地方の総合病院からUCやクローン病の専門医がいる大学病院へ転院したお茶屋。

最初の病院での生活はこちらの記事をご覧ください。
http://mikkabouzu.hatenadiary.com/entry/2017/08/03/001454


転院先の病棟はスカイツリーが遠くに見える優れたロケーションでしたが、病室内にトイレがないので少しスリリングでした。


眺望良好


あと毎日病棟内に、
「病室内での窃盗が多発しているのでご注意ください」とのアナウンスが流れ、
都会って怖い、と思わざるを得ませんでした。。
お茶屋は財布とスマホ3DSが貴重品に当たりますが、
個人個人に用意されたセキュリティボックスにギリギリ全て入りきらず、
盗られないかと毎日ドキドキしていました。。


さて、
新しい主治医はにこにこした若い先生(30半ば)で、主治医が変われば治療の方針も変わります。

おじいちゃん先生は、炎症が完全に治まるまで食上げ(三分がゆ→五分がゆ→全がゆ)しない方針でしたが、
若先生はある程度治れば通常食に戻す方針で、
転院したその日に三分がゆへ、
翌日には点滴栄養をやめて五分がゆに、さらに3日後には全がゆへと一気に食上げしました。


食欲が湧きます


そんな急に上げて大丈夫かと心配しましたが
専門医の言うことだし、なにせ味付けが美味しいのでしっかり食べていたら、


なんと体のだるさや気持ち悪さが治り、腹痛や下血の頻度も少なくなったのです。


若先生によると、同じだけの栄養でも点滴で取るのと食事で取るのとでは回復に雲泥の差があって、
食事を取れるようになったなら、ぱっぱと食上げした方が治りも早いのだそうです。

2ヶ月間差しっぱなしで、菌の温床となっていたCVも、経口栄養が取れるため不要と診断され、転院5日目に取り外すことが出来ました。


元気になってきたお茶屋は、
病院の売店で食べれそうなもの(ヨーグルト、ビスコ、たまごボーロなど)を買い食いしたりしていましたが、
食べられるなら、とむしろ推奨されました。



地方病院での治療は
いったい何だったのでしょう。。


この病院では特に事件もなく、
前の病院で食べられなかった通常食を食べ、
前の病院で禁止されていた、シャワーも浴びることができました。


大学病院に移ってから体調は目に見えて回復し、
転院から12日目、入院開始から実に75日目に一応寛解状態との診断で退院することができました。


今平和な生活を送れるのも大学病院に転院して治療方針を変えたからだと思っています。(地方病院で治療を続けていたら今ごろ大腸全摘、人工肛門になっていたかも知れません。)


退院後2週間程度実家で療養し、
その後1週間の自宅療養を経て、無事に職場復帰も果たしました。

地方住みのお茶屋ですが、現在もこの大学病院に面倒を見ていただいています。

専門医とそうでない医師とで腕の差は歴然で、
重症であるほど早く専門医にかかることが重要だと痛感した出来事でした。

【潰瘍性大腸炎】入院生活の話①

入院までの経緯は下の記事をご覧ください。
http://mikkabouzu.hatenadiary.com/entry/2017/07/26/195732


1日に15回前後の粘血便と強い腹痛、食欲不振で地方の総合病院を受診した結果、潰瘍性大腸炎劇症と診断され、即入院することになったお茶屋。


主治医は65歳くらいの内科医とお茶屋と同じくらいの研修医でしたが、2人とも潰瘍性大腸炎を診察した経験はなく、
系列の大学病院の専門医に指示を仰ぎながら対応してくれていたのを覚えています。

おじいちゃん先生は意志の強そうな職人気質の人で、研修医は気の弱そうな青年でした。


入院する時に「2週間の絶食、1ヶ月の入院」との診断がなされました。
2週間も絶食出来るものか、と心配でしたが、栄養を点滴で補うため問題ないとのこと(そして絶食は2週間では済みませんでした)。

入院の手続きを済ませると、早速CV(中心静脈)を取りつけられ、
首に縫い付けた管から栄養を滴下する、この様なスタイルになりました。

(写真はイメージです)


滴下の速度も決まっていて、こんな機械でスピードを調整します。

トイレに行くにもレントゲンを撮るにも常にこれを押して歩くスタイルで、
タイヤの回転がとんでもなく悪いので押して歩くと力が入り、力が入ると首が痛むコンボだったのを覚えています。



入院して最初の治療は、王道ステロイド点滴でした。

何はともあれ炎症のある箇所を治しましょう、という作戦です。
しかし絶食しながら1週間続けたものの改善せず、それどころか「膵臓の数値が危険なところまで上がってる」と言われ、敢え無く中止。

8日目からプログラフ(タクロリムス)に移行。
プログラフは免疫抑制剤で、大腸を攻撃している自己免疫を弱めようという作戦です。
他の病気に感染しやすくなるけど、背に腹は変えられません。

このプログラフ継続期間にはいろいろ憂き目に遭い、、


気管支の分け目から漏れた空気が圧迫して、息をする度に痛んだり(縦隔気腫と言うそうです)、

貧血が進行して目眩、吐気がひどくトイレにも立てなくなったり、(輸血600ccで元気回復)

首に挿しっぱなしのCVから菌が入り、3日3晩39度の熱が出たり、(おじいちゃん先生休診のため処置してもらえず)

また、猛烈な胃の痛みに苦しみ、毎晩痛み止めを打ってもらっても眠れず、昼夜逆転の入院生活になったりし、


ああ、人生って孤独だなぁ

とか

生活保護の頃、病人にもっと優しく接すればよかったなぁ(横暴だったという訳ではない)

とか

前世で悪いことしたのかなぁ

とか真剣に考えて、ふさぎ込む日々でした。


1日に15回のトイレも回数は減らず、
プログラフを使い始めて10日経つ頃、おじいちゃん先生から

「他に有効な治療がないので、あと1週間で結果が出なければ大腸全摘しかない」

と告げられました。


これまで触れていませんでしたが、
お茶屋は中高大とスポーツを続け、体を動かすことが最大の生きがいだったので

大腸ない→スポーツできない→人生終了

目の前は真っ暗でした。


そこから1週間、入院開始から25日目、潰瘍性大腸炎の改善は見られませんでしたが、おじいちゃん先生はなぜか言葉を変え、別の免疫抑制剤、レミケードを提案。




全摘しかないと言ったじゃんか(・□・;)



と心の中でツッコミましたが、
主治医を敵にしたくないのと、全摘しなくて良いかも、という期待からこれを受け入れ、
検査を受け、問題がなければ翌週から投与開始ということになりました。


そしてその1週間後、飲み続けていたプログラフがようやく効果を発揮し、
トイレは8回程度、粘血便は血便へと解消していき、
入院して35日目、ついに絶食が解かれ、口から栄養を得られるようになりました!

待望の食事はこんなもの

お粥の上澄みと味噌汁の上澄み

ほぼ水やん、と思いましたが35日ぶりの食事は不思議と美味しく感じました。


このあと一分がゆ、三分がゆと徐々にステップアップするものの、腹痛、血便はなくならず、回復は停滞。

治療が思うように進まないことに加え、
高熱の処置をすぐにしてもらえなかったこと、レミケードという治療があるのに危うく全摘になりかけたことに対し、

この病院で治療を続けて大丈夫なのか、と心配が抑えきれなくなり、

入院開始から60日目に都内の大学病院に転院したのでした。



大学病院での入院生活について、また次回記載します。

【生活保護】保護費の計算

(内容は記事を執筆時のH29.7時点のもので、今後制度が変わる可能性があります。
特に基準額表は数年ごとに改定されています。)


生活保護憲法の25条に根拠があり、


「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

という条文に基づいて、最低限度の生活ができる金銭を国や自治体が面倒見てくれる制度です。


お金がない人のいわば最後の砦と言える制度ですが、

保護費でパチンコに行ったり、車に乗ったり、

比較的金銭に余裕がある様子の人が散見されることから、

是非が問われている制度でもあります。


数年前には、売れっ子お笑い芸人の母親が保護を受けていて批判されたり、

今年には自治体職員の着ているジャンパーに、保護に批判的な文言が書かれているなどで、ニュースになりました。


お茶屋は2年間生活保護の現場で働いたことの忘備録として、
また保護の制度に関心のある人もいるかと思いますので、
生活保護費の計算方法についてまとめて見ました。


生活保護費の額は生活保護法で決まっていて、基本的には

⚪︎居住地

⚪︎年齢

⚪︎家族構成、 で決まります。


ケースワーカーは常に持ち歩いている、
生活保護手帳という、B5サイズの分厚い本に、詳しく書かれているのですが、


その地域の物価などをもとに決められた全国6段階の「級地」(1級地-1〜3級地-2)ごとに、

また保護を受ける人の年齢ごとに8段階(0-2歳、3-5、6-11、12-19、20-40、41-59、60-69、70以上)で決められた食費の基準額(居宅基準1類)、

世帯の人数ごとに決められた光熱費の基準額(居宅基準2類)、

世帯の人数ごとに決められた逓減率、

から保護費を計算します。


例えば2級地-1の千葉県佐倉市で、72歳、68歳の人暮らし、持ち家住みの場合は、

(30580円(72歳1類)+35230円(68歳1類)

+45360円(2人世帯2類))× 0.885(逓減率)

=98480円(10円未満の端数を切り上げ)

これが最低生活費になります。

借家の場合は2級地2人世帯の基準額、49000円を上限に、実家賃が加算され、

98480円 + 49000円 = 147480円

が月額となります。

収入があればここから差し引きますが、何もなければこれが保護費として貰えます。


どうでしょうか?

思ったより多いでしょうか?


お茶屋はこれを知った時から、

真面目に働くことや、正しく年金を収めることに価値があるのか、と悶々としています。
(公務員がこんなことを言っていいのか分かりませんが)


まあ、

病気や障害は仕方ないですが、

お国の面倒にならず、自分で生活を回せるのが一番良いですね。


お茶屋もUCの病状次第で働けなくなる可能性もあるし、

重篤な副作用でUCより酷い状態になる可能性もあるので、

そして今も、難病で多額の医療費を免除してもらっている身なので

偉そうなことは言えませんが。。



この生活保護の現場で、2年間で様々な事件があったので、それはまた別の機会に記事にしたいと思います。